佐村河内、新垣騒動に思う

私は直接新垣氏を存じませんが、私が尊敬する、一緒に演奏をしてくださっている多くの演奏家が彼を知っており、皆が彼を音楽に真摯な素晴らしい人だと思い、全面的に新垣氏を支持していることは、意味があると思っております。

その上で、このブログに書かれていることに心から同意します。確かにクラシック業界は何故か聴衆を考えることが(ポップスなどに比べて)少なくてもいいと
されていて、さながらファインアートのように生産/演奏されている。でも時間を超えられるアートと異なり、時間を共有する事でしか伝わらない音楽は、もう少し誰
にいつ聴いて貰いたいかを考えて生産/演奏する必要があるとも思う時はあります。

一方、聴衆のみなさんにもクラシック音楽は(よく考えてみれば音楽に限りませんが)必ずと言っていいほど「お涙頂戴」の物語のサイドストーリー、本質の音
楽と関係ない事が前面にないと聴かない、というのはそろそろやめにして、少し他の曲も聴いてみるという姿勢をもちたいと思ってもらう事は出来ないか?とも
思います。だって、そんなサイドストーリーがある曲を聴いていい音楽だと思うのなら、サイドストーリーが無くても聴かれている曲には素晴らしいものがたく
さんあるわけで。偶然その曲を聴いて良いと思ったなら、もうちょっと周りに興味を広げて頂ければもっと好きになるものがいくらでも見つかるはずだからで
す。(まだあまり私にもここのブリッジをどうすべきかの解は無いのですが)

クラシック音楽も音を楽しむためにあるのであって「お涙頂戴」のサイドストーリーが無いと感動しないわけではないはず。実際今回の曲もよくできたものだと思う人も多かったからヒットしているわけで、音楽その物には何の罪もない。

サイドストーリーの「お涙頂戴」がきっかけだったとしても、映画やドラマと同じように音楽そのものから生まれるストーリーに感情は動いているはずです。ク
ラシック音楽でも、色んな感情…ハッピーになったり、元気づけられたり、ほんわかしたり…軽いものから重いものまで、きちんとターゲットを設定してテク
ニックということだけではなく、高いレベルで伝えて行くこと。演奏者の端くれに名を連ねるものとして心したいと思っております。

ついついのとりとめない長文、失礼しました…